2011マヤ・アステカ紀行

3日目 9月13日(火)午後 国立人類学博物館観光

M:メキシコ時間

 昼食後は土産物店に立ち寄り。テキーラや織物はここで作っているようだが、他にも色々な民芸品が置いてあった。

3B-1 サボテンいろいろ(M14:01)

 店の庭には色々なサボテンが植えられていた。

3B-2【動画】マゲイの利用方法説明 (M14:08、5分49秒)

 最初に竜舌蘭のマゲイ(別名アガベ?)の利用方法の説明。プルケやテキーラなどのお酒はもちろん、繊維、紙、石鹸、針と糸など色々なものを作ることができる。かつての日本の鯨と同じで全く無駄がない。

3B-3 石いろいろ(M14:11)

 引き続き色々な石の説明。綺麗な色のものがたくさんある。

3B-4 プルケ(M14:12)

 次に竜舌蘭から造る薬の試飲会。薬と言っていたが、これは竜舌蘭で造る醸造酒で見かけも味もどぶろく風のお酒だ。これを蒸留するとテキーラになるのだろう。

3B-5 塩とライムとテキーラ(M14:14)

 続いて美味しそうなサボテンジュース。ではなく正真正銘のテキーラだ。皆で塩を舐めてライムをかじって一気に飲んだ。ほろ酔い気分でたっぷり買い物をさせる作戦か?。

3B-6 陽気な商品説明(M14:17)

 店の中に入ると相変わらず陽気な商品説明が続く。マゲイの繊維を使ったテーブルクロスはなかなか良かったので1枚買うことにした。

3B-7 ソンブレロ(M14:19)

 綺麗なソンブレロも売っている。私は今回の旅行では結局ソンブレロは買わなかった。かなり大きいので買った人は帰りの飛行機で置き場所に苦労していたようだ。
[高解像度写真]

3B-8 仮面(M14:20)

 こちらは変わった仮面。材質が何であるか未確認。

3B-9 民芸品いろいろ(M14:22)

 店内はこんな感じで大小の民芸品が並んでいる。店としてはここに写っているのの4〜5倍の広さがあった。
 この店では骸骨の置物とテキーラ1本も購入した。
[高解像度写真]

3B-10 織機(M14:36)

 こちらはテーブルクロスの布を織っているところ。

3B-11 畑の中の落書き(M14:47)

 メキシコシティ市内へ戻って行く。途中の畑の中の塀にも落書きが。

3B-12 フェンスで囲まれた住宅街(M14:58)

 割と高級な住宅街と思われる。一帯がフェンスで囲まれて入口にゲートがある。治安上こうなっているのだろう。
[高解像度写真]

3B-13 高速料金所(M15:00)

 料金所を通過して更に進む。

3B-14 壊れているバス(M15:09)

 途中で見かけた路線バス。ボンネットが外れかけて縛ってあるようだ。前のドアも開いたまま。でも、これは壊れているわけではなく、こちらのバスはこういうものらしい。

3B-15 博物館に到着(M15:45)

 国立人類学博物館に到着した。ここは「マヤ・アステカ遺跡へっぴり紀行」で絶賛していたので楽しみにしていた。
 写真撮影もOKなのが嬉しい。今回は後で何であるかわかるように、なるべく説明(ほとんどスペイン語だが)も撮影するよう心がけた。但し説明は小画像では読めないので別ウィンドウで表示するようにしている。
[高解像度写真]

3B-16 博物館入り口(M15:50)

 入口を入ったところ。この博物館は大きな荷物を持ち込むことはできない。

3B-17 博物館の中庭(M15:52)

 中庭を取り囲むように展示室が並んでいる。
[高解像度写真]

3B-18 中庭中央の円柱(M15:54)

 中庭中央の円柱にはメキシコの歴史にまつわる装飾が施されており、上から円状に水が落ちる仕組みになっている。
[高解像度写真]

3B-19 展示室の様子(M15:57)

 最初に入ったのは人類学入門とアメリカの起源の部屋。展示室はこんな感じ。
[高解像度写真]

3B-20 アウストラロピテクス(M15:57)

 もちろんアウストラロピテクスがアメリカ大陸にいたわけではないが、人類の歴史を最初から辿るという意味で模型が置かれている。
[解説(スペイン語)]

3B-21 マンモスの骨(M15:58)

 こちらはアメリカ大陸にいたマンモスの骨。1954年にサンタ・イザベル・イスタパンで発見されたもの。

3B-22 マンモス復元模型(M16:00)

 当時の狩猟民に狩られつつあるマンモスの復元模型。マンモス絶滅の理由は気候変動の他に人間による狩猟もあげられている。

3B-23 狩をする原住民(M16:00)

 狩をする原住民の模型も非常にリアルに作られている。この博物館は復元模型が優れているのも大きな特長だ。

3B-24 先史時代の説明(M16:00)

 先史時代の気候変動の説明図。氷河の絵が描かれている。
[高解像度写真]

3B-25 先史時代の壁画(M16:01)

 サンフランシスコ山地の洞窟壁画のレプリカ。紀元前1100年から紀元後1300年の間に描かれたそうなのでさほど古いとは言えない。
[高解像度写真]
 このあたりでテオティワカン室に移動した。
 テオティワカンの年代は紀元前150年から紀元後650年にかけて。文字が残っていないので歴史はわからないが、遺跡も遺物も豊富に残っている。他地域との交流の証拠からメソアメリカ地域全体を支配していたと推測されている。

3B-26 古代遺跡マップ(M16:10)

 古代遺跡マップで、いろいろな時代の遺跡が描かれている。メキシコは遺跡だらけであることがわかる。
[高解像度写真]

3B-27 ドクロの円盤(M16:12)

 太陽のピラミッド前にあったドクロの円盤。ドクロは太陽の神トナティウを表している。
[解説(スペイン語)]

3B-28 ドクロ右側(M16:11)

 上のドクロの円盤の左右に形の異なる頭像が置かれている。これらもドクロだろうか?。

3B-29 テオティワカン初期の出土品1(M16:12)

 テオティワカン初期の出土品と思われるもの。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-30 テオティワカン初期の出土品2(M16:12)

 これもテオティワカン初期の出土品。小さな人物像と大きな容器。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-31 テオティワカンの配置模型(M16:13)

 テオティワカンの配置模型で、月のピラミッド、太陽のピラミッド、ケツァルコアトル神殿の配置などがよくわかる。

3B-32 ケツァルコアトル神殿(M16:14)

 展示室内に作られているケツァルコアトル神殿の実物大レプリカ。本物を見られなかったので、これで我慢。
[高解像度写真]

3B-33 ケツァルコアトル(M16:15)

 ケツァルコアトル神殿のケツァルコアトルのアップ。

3B-34 トラロック1(M16:15)

 こちらは雨神トラロック。

3B-35 テオティワカンの生贄の骨(M16:16)

 ケツァルコアトル神殿で見つかった生贄の骨。首飾りのように並べて置かれているのは実は人間のアゴの骨。
[高解像度写真]

3B-36 チャルチウトリクエ女神(M16:19)

 月のピラミッド前で発掘された。翡翠のスカートの女との意味の水の女神。
[解説(スペイン語)]

3B-37 宝飾品など(M16:19)

[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-38 黒曜石の加工品(M16:20)

[解説(スペイン語)]

3B-39 壁画など(M16:20)

 彩色が美しい壁画がかかっている。右側にはテオティワカン名産の三足土器がある。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-40 トラロック2(M16:20)

 丸メガネが特徴のトラロック。ケツァルコアトルもトラロックも色々な形態のものがある。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-41 薄オレンジ色の土器(M16:21)

[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-42 火鉢(M16:21)

 非常に凝った装飾だが火鉢らしい。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-43 彩色土器(M16:23)

 やはりテオティワカンの土器は三足のものが多い。
[解説(スペイン語)]

3B-44 テワカン、カルブラルパン、チョルーラとの交流品(M16:25)

 これらはテオティワカン周辺のテワカン、カルブラルパン、チョルーラとの交流の証拠品らしい。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-45 マヤとの交流品(M16:25)

 これらはマヤ地域と交流があった証拠品。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-46 飲酒場面の壁画(M16:26)

 酒を飲んでいる様子が描かれている。これはテオティワカン近郊のチョルーラのもの。
[解説(スペイン語)]

3B-47 ティカルとの関係(M16:27)

 これはマヤ地域のティカルの石碑の複製のようだ。デザインにテオティワカン的な面があったり、テオティワカンによるティカル支配をほのめかすような文章が刻まれている。
 メキシコ中央地域とマヤ地域は数百年ごとに相互に影響(支配?)を及ぼし合っていたことがわかっている。
[解説(スペイン語)]

3B-48 ビッシリ刻まれたマヤ文字(M16:31)

 石碑の裏側にはマヤ文字が刻まれている。ティカルの歴史に関するものなのだろう。
[高解像度写真]

3B-49 オアハカ地域との交流を示す像(M16:30)

 デザインにオアハカ地域との交流が現れているらしい。 [解説(スペイン語)]

3B-50 球技のゴール(M16:31)

 テオティワカン室からメヒカ(アステカ)室へ向かう途中に球技のゴールが飾られてた。

3B-51 メヒカ(アステカ)文明の説明(M16:34)

 一般にアステカ文明と呼ぶことが多いが、この博物館では正しくメヒカ文明、メヒカ室となっている。メヒカ(メシカ)は担い手となった人々の自称でもある。

 メヒカ文明の年代は1325年〜1521年。アステカ人は12世紀半ばに北方からの移動を開始し13世紀にメキシコ中央部に入った。メキシコ盆地のテスココ湖周辺は既に他の部族に占有されていたので、テスココ湖の小島周辺を埋め立てて1325年に建国した。そして15世紀末にはメキシコ中央部の大半を支配下に収めた。
[高解像度写真]

3B-52 クアウシカリ(M16:34)

 部屋に入ったところで目立っているのがクアウシカリ。神社の狛犬みたいだが、こちらの方がひょうきんか?。
 生贄の心臓を入れるジャガーの姿をした容器になっていて背中に窪みがある。
[高解像度写真]

3B-53 クアウシカリのお尻(M16:35)

 こちらはお尻。尻尾が可愛い?。

3B-54 円筒型石碑(M16:32)

 この円筒形石碑は宇宙に向けて放たれる太陽光線を表していて、暦としても使っていたそうだ、
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-55 円筒型石碑側面のアステカの神(M16:37)

 円筒型石碑側面にはアステカの神々が刻まれている。右側は髪の毛をつかまれた捕虜か?。
[高解像度写真]

3B-56 メヒカ室中央部(M16:38)

 部屋中央部に進んできた。奥にアステカ・カレンダーが見える。他にも色々なものが展示されている。
[高解像度写真]

3B-57 石碑側面のレリーフ1(M16:35)

 立方体の石碑側面のレリーフ。何か気味の悪い動物のようだ。
[高解像度写真]

3B-58 石碑側面のレリーフ2(M16:35)

 これも何か変わった動物。

3B-59 石碑側面のレリーフ3(M16:35)

 やや平べったい石碑の側面。これは髑髏か?。

3B-60 謎の窪み(M16:36)

 石版の中央に謎の窪みがあるものもあった。

3B-61 アステカ・カレンダー(M16:38)

 これが直径3.6m、重さ24トンのアステカカレンダー。来年の12月21日で終わっているため来年の人類滅亡論の原因となった代物。
 中央に現在の太陽、その周りに今までに滅んだ4個の太陽、更にその外側に1ヶ月を構成する20日などが描かれている。
[高解像度写真]

3B-62 アステカ・カレンダーの説明(M16:41)

 こちらはカレンダーの説明。
[高解像度写真]

3B-63 メヒカ室横の展示物(M16:37)

 メヒカ室横にはこんな頭像も。髑髏のようだが顔の脇に手を添えて「お化け〜」と言っているような感じだ。
[高解像度写真]

3B-64 コアトリクエ(M16:40)

 アステカの神話を知っていると、コアトリクエ、コヨルシャウキ、ウィツィロポチトリは重要神なので見るのを楽しみにしていたのだが、ガイドの鯰江さんはスルー。でもしっかり表裏とも写真を撮っておいた。
 頭は2頭のヘビが対面(切り取られた頭から吹き出す二筋の血潮を表しているらしい)、体には髑髏の装飾、それにヘビのスカートを履いてと大層恐ろしげな方だ。これのミニチュアが欲しかったが売ってなかった。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-65 コアトリクエ像背面(M17:00)

 これは背面側。より大きな髑髏が取り付けられている。
[高解像度写真]

3B-66 シウコアトル(M16:41)

 シウコアトルという名前でウィツィロポチトリと関連が深いようだが、形からするとコンゴウインコを表していると思われる。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-67 テノチティトランの再現図と神殿群模型(M16:44)

 壁面にテノチティトランの再現図、中央に神殿群の復元模型がある。
[高解像度写真]

3B-68 テノチティトラン神殿の復元模型(M16:44)

 こちらは神殿上部の復元模型。

3B-69 交易品と交易ルートの説明(M16:47)

 アステカと周辺地域との交易品と交易ルートの説明。
[高解像度写真]

3B-70 トラテロルコ市場の復元模型(M16:48)

 毎日数万人が訪れた当時の世界一のトラテロルコ市場の極めて精巧な復元模型。
 トラテロルコは当初テノチティトランとは別の独立した都市だったが後にテノチティトランの支配下に入り市場として発展した。
[高解像度写真]

3B-71 老人像(M16:49)

 これらは腰が曲がった老人の像。
[解説(スペイン語)]

3B-72 神々の像(M16:49)

 色々な神々の像。
[解説(スペイン語)]

3B-73 聖職者?(M16:55)

 トラロックに関わる聖職者らしい。体に比べて頭が大きい。
[解説(スペイン語)]

3B-74 様々な彫像(M16:55)

 これらは人々を表現したものなのだろう。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-75 黒曜石でできた猿の花瓶(M16:56)

 黒曜石を綺麗に加工して作った花瓶で猿がデザインされている。この博物館で非常に価値のある一品だそうだ。
[解説(スペイン語)]

3B-76 赤色の土器(M16:57)

 これらは赤色の土器。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-77 ケツァルの羽根で作った王冠(M16:58)

 コルテスに贈呈したケツァルの羽根で作った王冠のレプリカ。本物は現在ウィーンにあるそうだ。

3B-78 金細工(M16:59)

 翡翠の方が価値が高かったアステカでは珍しい金細工。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-79 オルメカの人頭像1(M17:02)

 メキシコ湾岸文化室はパスしてマヤ室へ向かう。これは入口近くにあったオルメカの人頭像。

3B-80 マヤ室へ(M17:02)

 こちらがマヤ室。マヤ文明は、先古典期(紀元前1600年〜紀元後250年)、古典期(250年〜900年)、後古典期(900年〜16世紀前半)の3期間に分かれている。
 古典期の代表的都市はティカルでテオティワカンの影響が見られる。パカル王で有名なパレンケや南部のコパンも古典期の都市である。
 後古典期の代表的都市はチチェン・イツァーとマヤパンで、ケツァルコアトル、チャクモールなどメキシコ側のトルテカ文明(トゥーラ)の影響が顕著に見られる。

3B-81 石碑1(M17:03)

 この石碑は上部が未加工のままなので未完成ということらしい。儀式に必要だが敵が攻めて来るので急いで作ったのかも知れない。デザインとしてはジャガーの頭飾りを冠った妻からジャガーの盾を受け取っている統治者。
[高解像度写真]

3B-82 石碑2(M17:09)

 これらも儀式の様子を描いた石碑。詳細は解説写真(右側のみ)を参照。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-83 石碑3(M17:10)

 これも同じく儀式を描いている石碑。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-84 頭蓋骨(M17:11)

 さりげなく展示してあった生贄のものと思われる頭蓋骨。若干扁平に変形させられているように見える。

3B-85 マヤ文字の石碑(M17:12)

 マヤ室にはこういったマヤ文字の石碑も多く展示されている。
[高解像度写真]

3B-86 カンペチェの石碑(M17:13)

 中央はカラクムルの石碑。カラクルムは7世紀頃ティカルと覇権を争っていて一時は中部マヤ最大の大国となっている。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-87 パカル王の翡翠の仮面(全体)(M17:20)

 パレンケのパカル王の翡翠の仮面。碑銘の神殿内の王墓から出土した。パカル王は615年の即位。
[高解像度写真]

3B-88 パカル王の翡翠の仮面(アップ)(M17:19)

 仮面部分のアップ。マヤでは金より翡翠の方が価値が高かった。ひとかけらの翡翠でコルテスの数千人の兵士の治療ができたという話もある。
[高解像度写真]

3B-89 復元されたパカル王の王墓(M17:21)

 パカル王の王墓が実物大で復元されている。石室の大きさは高さ7m、幅4m、奥行き9m。初めて見つかった未盗掘の王墓である。
[高解像度写真]

3B-90 神殿の壁装飾(M17:23)

 これはピラミッド頂上の神殿に通じる階段の両側の壁装飾だったもの。中央に火の神、両脇に暦の象徴を支える2人の神が配されている。
[高解像度写真]

3B-91 チチェン・イツァのチャクモール(M17:23)

 チチェン・イツァの金星の神殿で発見されたチャクモール。チャクモールは生贄の心臓を置く皿を持っている。シリアスな役割と対照的な無表情な顔がなかなか良い。
[高解像度写真]

3B-92 顔付きの壺(M17:24)

 壺に人や動物の顔が付けられている。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-93 アトランテス(M17:25)

 アトランテスは屋根を支えていた戦士の像。メキシコ・トルテカに特徴的なものなのでマヤのチチェン・イツァにアトランテスがあることからもトルテカ(トゥーラ)の影響が及んていた事がわかる。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-94 天下る神(M17:28)

 逆さになって天から下ってくる形をした神。トゥルムの神殿が有名だがベラクルス州南部からユカタン半島にかけての多くの地域で見られる。トウモロコシまたは蜜蜂に関係すると考えられている。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]
 パカル王の王墓を見たあたりから自由時間になり、マヤ室をもう少し見てからまだ入っていないメキシコ湾岸文化室へ向かった。
 メキシコ湾岸のオルメカ文明(紀元前1200年〜紀元前400年)はメソアメリカで最も古い文明だ。しかしながら、道路・水路といった都市機能、ピラミッド・球技場といったメソアメリカに特徴的な要素が既に揃っていた。

3B-95 変わった顔の人物像(M17:31)

 目つきに特徴がある変わった顔の人物像。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-96 オルメカの人頭像2(M17:31)

 オルメカの巨大な人頭像。やはりこれは見ておかないと。
[高解像度写真]

3B-97 力士像(M17:31)

 力強さが表現されているので力士像と呼ばれている。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-98 ベビー・フェイス(M17:32)

 中央の2体が幼児体型をしていることからベビー・フェイスと呼ばれるもの。頭蓋骨は細長く変形している。
 まわりにも変わった体型の像が色々とある。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-99 女性像と双頭像(M17:32)

 かなり誇張された女性像と1体の双頭像。マヤ・アステカでは奇形は神性があるとして敬われていたという話もある。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-100 猿(M17:32)

 説明には猿と書いてあるようだが猿顔の人間かも。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-101 トラロック3(M17:32)

 これもメガネ顔のトラロック。
[解説(スペイン語)]

3B-102 笑う人(M17:33)

 文字通り笑う人。

3B-103 面白いポーズの像(M17:33)

 短い手で面白いポーズをとっている像。
[解説(スペイン語)]

3B-104 座っている女性(M17:33)

 座っている女性像だが膝にヘビを抱いている。

3B-105 外の庭にも展示物(M17:33)

 外の庭にも復元神殿など大物の展示物ある模様。残念ながら見に行く時間は無かった。
[高解像度写真]

3B-106 変形した頭蓋骨(M17:33)

 明らかに扁平に変形した頭蓋骨。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-107 死の神の聖職者(M17:36)

 最後に再びメヒカ室へ。これは死の神の聖職者でプエブラのもの。股間の突起物が何とも言えない。
[高解像度画像]
[解説(スペイン語)]

3B-108 博物館の売店(M17:45)

 こちらは博物館の売店。なかなか良いものが揃っていてメモ帳とキーホルダーを購入した。時間があればもっと色々買っていただろう。
[高解像度写真]

3B-109 売店の床(M17:40)

 売店の床もなかなか凝ったデザインだ。二重構造のようで表面の透明なガラス(アクリル?)にマヤ文字っぽい絵柄がデザインされている。

3B-110 国旗降納(M17:49)

 博物館を出たらちょうど国旗を降納するところだった。

3B-111 スープとパン(M18:31)

 レストランで夕食。例によって最初はスープ。パンも準備されていた。

3B-112 Sol(M18:34)

 夕食のビールはSol。メキシコではSolが標準ビールらしく店員は単にラガーと呼んでいた。味は軽めでやや甘め。

3B-113 サイダー(M18:35)

 こちらは家内が注文したサイダー。

3B-114 本日のタコス(M18:46)

 本日のタコスは中の具が3種類。1個はシーフード系だったと思う。

3B-115 芸術的デザート(M19:10)

 デザートにはシロップやチョコレートで枝にとまっているインコが描かれていた。超芸術的!。

3B-116 全部違う絵柄(M19:11)

 周りを見回して比べてみたら全部違う絵柄だった。感動のあまり並べて写真撮影。これは素晴らしい!。

3B-117 夕食レストランのLos Arcos(M19:23)

 帰り際にレストランの表札?を撮影(入口の上の看板は別にある)。Los Ascosという名前だった。

3B-118 INDIO.(M21:03)

 夜のビールはINDIO.。軽めのスッキリした味だった。
 3日目も無事終了。明日もモーニングコール7:00、出発8:25とゆったりスケジュールだ。

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