8-1 軽食(J07:19)
エジプト時間では深夜だが日本時間の朝7時台にごく簡単な軽食が出た。就寝中で食べない人もいたが私はありがたく頂いておいた。
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8-2 中間地点通過(J08:00)
軽食後にデータをチェックすると、あと5時間15分なので中間地点は通過したようだ。
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8-3 ユーラシア大陸ど真ん中(J08:01)
地図を見るとユーラシア大陸のど真ん中を飛行中。
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8-4 ウルムチからゴビへ(J08:01)
詳細地図によればウルムチを通過してゴビ砂漠へ向かいつつある。当然のことながら帰途も空のシルクロードを飛んでいる。
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8-5 昼食?(J10:54)
もう一眠りして目が覚めると今度はマトモな食事になった。時差の関係でよくわからなくなっているが日本時間なら早めの昼食か?。
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8-6 あと少し(J12:20)
12時を過ぎて既に日本上空を飛行中。今回も北京、ソウルと大都市の上を飛んでいる。北朝鮮は微妙に避けているようだ。
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8-7 京都を通過(J12:20)
詳細地図を見ると京都を通過して三河湾まで達している。
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8-8 オンボロ飛行機(J12:30)
着陸前にエジプト航空のオンボロ具合を示す写真を1枚。座席のポケットが完璧に破けている。時々補修するのかも知れないが追いつかないかも。まあ、ちゃんと飛んでいるので飛行性能としては問題無いのだろうけど・・・。
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8-9 着陸前の機内(J12:37)
既にシートベルト着用サインも点灯し着陸態勢に入った。千葉県の沖合を飛行中。
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8-10 成田に到着(J13:17)
無事成田空港に着陸した。降りながら出発時と同じようなアングルでA340を撮影。
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8-11 通路を進む(J13:19)
通路を進んで入国審査・税関へ向かうのだが・・・。
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8-12 サテライト連絡シャトル(J13:24)
その前にサテライト連絡シャトルが待ち構えていた。
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8-13 税関へ(J13:27)
入国審査を経て税関へ。その前に預けたスーツケースを受け取る。
[高解像度画像]
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8-14 手荷物案内板(J13:39)
MS964便も表示されている。ここで少々待たされることになった。
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8-15 荷物を待つ(J13:57)
なかなか出てこない。もう帰って来たので万が一出てこなくても深刻ではないので気楽に待つ。ここで荷物を受け取った人からアベさんに挨拶して流れ解散となった。
写真の時刻記録によると荷物の受け取りと税関の通過で1時間近くかかっていたようだ。
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8-16 QLライナー窓口へ(J14:40)
外に出て、まずQLライナー窓口でスーツケースを預けた。今回の宅配は往復割引で申し込んでいたので、スーツケースと伝票を渡すだけだ。
[高解像度画像]
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8-17 残ったドルを両替(J14:40)
ごくわずかだがドルが残っていたので、ここで円に両替した。
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8-18 リムジンバスのチケット購入(J14:41)
行きは成田エクスプレスで来たので、帰りは別の交通手段と言うことでリムジンバスに乗ってみることにした。渋谷行きは25分後の3時5分発だ。
[高解像度画像]
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8-19 案内板(J14:43)
案内板でバス乗り場を確認。17番なので外に出てすぐのところだった。
[高解像度画像]
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8-20 バス乗り場(J14:57)
バス乗り場はこんな感じ。時間があるので缶コーヒーを飲みながら待っていた。
[高解像度画像]
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8-21 まもなくバス到着(J15:04)
案内表示によると同じ停留所から別の目的地に5〜10分おきに発車するようだ。
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8-22 バスが到着(J15:05)
定刻通りにバスが到着。私はカメラバッグ1個しか持っていなのでそのまま乗り込んだが、スーツケースがある人は並べておくと座席下部に積み込んでもらえる。
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8-23 リムジンバスの車内(J15:06)
座席は自由席だ。まだ空いているが、第1ターミナル南ウイング、北ウイングを経由して行くので最終的に8割程度席が埋まった。目的地がホテルのせいか日本人は少なくアジア系外国人が多かったようだ。
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8-24【動画】成田空港をリムジンバスで出発(J15:07、1分29秒)
珍しい物でもないが出発の様子を動画撮影。これが今回のエジプト旅行の最終動画になった。良く見ると高架下の砂地が日本庭園風に作られていて面白い。
途中、箱崎あたりで若干混雑していたが、ほぼ定刻通りに渋谷に到着した。そしてカメラバッグを片手に普通に電車に乗り、日常生活っぽい感覚で夕方5時半頃帰宅した。
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エジプトは約5000年という歴史の古さと遺跡の規模、そしてある程度歴史が辿れるという点で突出していると思う。文明発祥について言えばインドのカンベイ湾で9500年前の大規模な都市遺跡が発見されていることもあり、12000年ぐらい前の最初の都市遺跡がどこかの海底の土砂の下に埋もれているのかも知れない。しかし現実に見ることができる遺跡としてはエジプトが最古最大であり、実際に現地を訪れ見たり触れたり中に入ったりできたのは大きな収穫だった。
エジプトでピラミッドが建設された紀元前2500年頃というのは、日本でも三内丸山があったように全世界的に文明が栄えていたように思う。しかも当時の大都市の構成人種は多様で国際化が進み、それぞれが世界都市の様相を呈していたようだ。と言ってもその後文明が衰退したわけではなく持続的発展を続け、現代は更に国際化が進み交通手段も発展し地球が小さく感じられるようになった事も確かだ。現代に生まれたことを十二分に活用し更に色々なところを見に行きたいものである。
<完>
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